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バンド2


文化祭の快挙から数ヶ月経って、私は高校を卒業した。

バタさんは臨時メンバーだったため、バンドメンバーは私と魔界の二人に戻った。

バンドを解散する気はなかった。


私と魔界は正式なドラムを探すため、楽器屋の店員さんに相談していた。

すると楽器屋の店員さんが、私と同い年くらいの男子をドラムメンバーとして紹介してくれると言った。


そのドラムメンバー(Tとする)は、眼鏡をかけていて、まあまあ優しい性格だったが、とにかく音楽に対するこだわりが半端ではなかった。

高みを目指す者としてクオリティが求められ、趣味でやっていきたい私には正直しんどかった。




ここでTの話をする前に、私が文化祭でやった曲は、

モンゴル800の「あなたに」

ホワイトベリーの「夏祭り」

・Doesの「曇天」

サカナクションの「アイデンティティ(サビのみ)」

楽器をやる人ならわかると思うが、アイデンティティ以外は初心者向けの曲である。




Tの話に戻る。


新生「超多忙」は、楽器屋の店員さんの紹介で、地元の音楽イベントに出演することとなった。

困ったのが曲決めで、私と魔界はどうしてもモンパチの「あなたに」をやりたかったのだが、Tによって却下された。


Tが次の音楽イベントに向けてやりたい曲は、

東京事変の「閃光少女」

・ファジーコトロールの「モナリザ

と、一気に難易度が上がった。

心なしかドラムが目立つ曲のチョイスが多かった。


超多忙が参加する音楽イベントは、バンド同士で演奏を競い合って、良かったバンドが決勝戦に進めるというものだった。

決勝戦は、市内でも有名なライブハウスでやるとのことだった。


正直優勝は無理だなと思ったが、参加するだけでも思い出になるか……と思い、軽い気持ちで練習し、参加した。




するとなんか決勝戦に進む事になってしまった。


そしてTがバックレた。

決勝戦まであと3日の出来事だった。


もう今から新しいドラムが見つかるわけもなく、超多忙は残念ながら不戦敗になるしかなかった。

ここまで恵まれていないということは、私たちは元々バンドに向いていなかったのだ。


諦めかけたその時、私の超身近にダイヤの原石がいた。


私の弟、キョンシーである。


「一生のお願い。3日でドラム覚えて決勝戦出てくれ」


キョンシーもたじたじである。


しかし彼はやってくれた。


3日でドラムをマスターして曲を完璧に覚えた。




無事、最高のドラムをメンバーに加えた「超多忙」は、勢いに身を任せて決勝戦に参加した。

決勝戦は観客の投票で決まるので、正直、知り合いを沢山招待したモン勝ちだった。


優勝はできなかったけど、楽しかった。


超多忙は、魔界が子育て中なので活動休止しているが、またそのうちやりたいと思っている。

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バンド


高校一年生の春。

仲良しグループの四人で、「高校生といえば文化祭でバンドだよね」と冗談でお話ししていた。

私ギターやりたいな、じゃあ私はベースしたい……なんて、冗談でも話が膨らんでいく。


そして私一人がすぐに本気にして、近所の楽器屋で一万円のベースを買った。


しかし……いや、勿論、皆は楽器を買わなかった。

高校一年生にとって一万円という額は大きく、ただの思いつきに、一万円と短い青春をかけられるほど、皆本気じゃなかった。


私はベースだったから良かったが、ドラムなんて全部揃えたら安くても五万円はした。(ドラムスティックだけ買って、スタジオで練習すれば良い……などという画期的な発想はなかったし、そもそもスタジオの存在を知らなかった。)


私は後悔して、一万円のベースはすぐにインテリアになった。




それから暫くして、魔界という友達が一万円のギターを買った。

私だけがベースを買ったことに対して罪悪感があったのだと思う。

でも私はすごく嬉しくて、高校三年生の文化祭までにいっぱい練習して、ステージに立ちたいと思った。


しかし二人で楽器を弾いてみると、思っていたようなカッコいい音は出なかった。

ギターもベースも、アンプに繋がなければ音が出ないことや、エフェクターの存在など、知る由もなかった。

耳を澄まさないと聴こえないほど、小さな音しか出なかったので、つまらないな……と思いながら練習していた。




高校三年生になって、とりあえず魔界と二人で文化祭の有志の申し込みをした。


そこで問題が発生した。

というか、今更問題に気付いた。


まずドラムがいない。

ボーカルもキーボードもいない。

曲も決まってない。

バンド名も決まってない。

相変わらずアンプがない。

何故こんなガバガバの状態でエントリーしてしまったのか。


それから文化祭までの半年間は大忙しだった。

その半年間で、とりあえず二人でドラムを買った。(通販で五万円ちょい、pearl。)

憧れていたマーシャルのアンプを買った。

満足に弾けない癖に、ベースとギターを十万円くらいのFenderに新調した。

曲を決めて、本格的にスタジオを借りて練習した。

今思えば、↑のことだけで三十万円以上掛かっているのだが、一体どこからそのお金が出てきたのかわからない……。


物事が順調に進みだしたが、ドラムは決まらなかった。

一時期は私一人でベース、ボーカル、キーボード、バスドラムを担当したこともあった。

出来ないこともなかったが、大道芸みたいになった。



いよいよ文化祭一週間前になった。

それでもドラムだけが最後まで決まらなかった。

もう無理だと思いつつ、クラスメイト一人一人に魔界と二人で土下座して頼み込んだ。


クラスメイトからの返事は良いものではなかった。

当たり前だ。

一週間でイチからドラムを覚えろと言われたら、私だって拒否する。

しかも高校三年生の秋だ。

バンドなんかして浮かれるな、と、先生の視線は冷たかった。


ほとんど諦めかけていて、こりゃ大道芸するしかないな……と思っていた時、話したこともないような子にダメ元でお願いしたところ、「やってみたい」とのまさかのお返事。


救世主、バタさんの登場である。


バタさんはドラムどころか楽器の経験がなかったが、とにかく一週間後が本番だったので縋る思いでお願いした。


それから私と魔界とバタさんで、私の部屋で毎日猛特訓。

本物のドラムをバシバシ叩き、アンプに繋いだギターとベースを掻き鳴らす。

ベースボーカルに落ち着いた私は、大声で歌う。

想像を絶する騒音だったと思うが、近所のオバさんには毎朝掃除機の轟音で起こされるので喧嘩両成敗だった。

母親も見逃してくれた。




遂に文化祭本番。


バタさんのドラムの才能は無事開花し、なんかもう私と魔界より普通に上手かった。


演奏が始まると、友達が沢山ステージの前まで来てくれた。

今までで一番良い演奏をした。

本当に楽しかった。

良い意味で、結成一週間のバンドの演奏ではなかったと思う。


バンド名は「超多忙」だ。


魔界、バタさん、私の夢を叶えてくれてありがとう。

二人には一生頭が上がりません。




バンドの前座でやった漫才は普通にスベった。

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